2009年06月18日
父のこと3
父に関する話が続きますが、もう少しだけお付き合い下さい。
父は私の沖縄移住に反対でした。
父にすると、必死で働いて大学にまで行かせ、就職もできていたのにどうして
、しかも故郷を飛び越え何で沖縄なんだ
、という思いがあったようです。
どうせ遊びに行くんじゃないか、とも思ったでしょう。
確かに沖縄熱にうなされ、色々楽しいことを想像して移住したのは事実です。
だって誰も楽しくないところに進んで移住しませんよね。
ただ当時、私も仕事がハードでもう勘弁してくれという状況でした。
1ヶ月以上休みがゼロだったり、自宅に持ち帰ってやった分も含めると月200時間残業だった月もありました。
これでは体を壊すと思いました。
実際体を壊してガンになりましたし。
だから、潜在意識が癒しを求めて沖縄に導いてくれたんだと思ってます。
理屈じゃない部分がありました。
しかし父はそういうのを信じません。
私もうまく説明できません。
そんなすれ違いの状態で移住生活がスタートしました。
ちなみに父は三線のような芸能には興味がありません。
極端な話、遊びにしか思ってないかもしれません。
そんな余裕がなかったせいもあるでしょうが・・・
だから私が三線をやってることも正直よく思っていない節があります。
あるときこんなことがありました。
いとこが結婚し、いとこの実家での二次会の席で目出度節などを歌わせてもらいました。
歌詞の意味は分からないものの、みんな喜んでくれました。
その中で、何も三線をやらせるために苦労して学校に行かせたんじゃない、と父が隣の親戚に話しているのをはっきり聞きました。
冗談混じりとは言え、非常にショックでした。
また、私の自然療法、食事療法でガンを治すという方針にももうひとつ納得がいってないようです。
玄米菜食については、父の世代には玄米は貧しい時代の象徴のようで、実家でも一人玄米を拒否しています。
動物性タンパクの制限についても、そういうのを食べてみんな元気にしているから必要ない、とのが持論のようです。
でもそれは父のような肉体労働者で、運動+発汗でのデトックスができている人が基準ですし、それでも未病の人は多いんですが・・・
そして在宅療養中の2月頃突然父から電話があり、妻は強い口調で何で抗がん剤をやらせないんだ、とまくしたてられました。
どうも医師に直接話を聞いたようなのですが、私の状態が悪くなってるのを隠していた、と思ったようです。
これにはいくつか勘違いがあるのですが、父は瞬間湯沸し器のような性格で、カッとなると一方的にまくしたててきます。
私の状態は、呼吸不全については少なくとも良くはなってないため、そこだけ頭に残ったのだと思います。
ガンについては以前報告した通りです。
また、周囲からもある意味無責任に抗がん剤を勧める声が多かったようです。
そういったことがあり、父の自分への思いに僅かながら疑問を抱くようになりました。
しかし同時期いのちの田圃の会沖縄支部長のIさんからは、無条件に両親に感謝をしなさいとアドバイスを受けていました。
思えば入院して無神論者の父が仏壇に手を合わせてると聞き、帰って孝行したいと考えたはず。
それからは誤解があってもまず感謝するようにしました。
すると、それ以降抗がん剤の話は出ませんでしたし、現在の病院が私の意思を尊重してくれていることにも何も言っていないそうです。
そもそも私が生まれたときは男の子ということで、それはそれは喜んでくれたそうです。
姉はそれが不満のようですが・・・
また、私が一番好きな昔の写真には、三輪車で遊ぶ幼い私を自分も三輪車に乗って笑顔で見つめる父の姿があります。

入院中、私の回復の具合を報告する度にニコニコしていたそうですし、今も自宅では機嫌がよく、その笑顔でいることが多いそうです。
私も、帰郷した日空港の到着ロビーのガラス越しにその笑顔を確認できました。
そして張り切って新居を作ってくれている話など聞くにつれ、抱いていた疑念はスーッと消えていきました。
元々議論が嫌いな九州男児で、自分の本心を伝えるのも苦手なため誤解されやすいんですね。
私も呼吸不全を得てから、父とのわだかまりが取れてきました。
まさにわだかまりという炎症で気持ちの交換も不全だったんだと思います。
これからじっくり呼吸も気持ちも無理なく通るようにしていこうと思っています。
父は私の沖縄移住に反対でした。
父にすると、必死で働いて大学にまで行かせ、就職もできていたのにどうして


どうせ遊びに行くんじゃないか、とも思ったでしょう。
確かに沖縄熱にうなされ、色々楽しいことを想像して移住したのは事実です。
だって誰も楽しくないところに進んで移住しませんよね。
ただ当時、私も仕事がハードでもう勘弁してくれという状況でした。
1ヶ月以上休みがゼロだったり、自宅に持ち帰ってやった分も含めると月200時間残業だった月もありました。
これでは体を壊すと思いました。
実際体を壊してガンになりましたし。
だから、潜在意識が癒しを求めて沖縄に導いてくれたんだと思ってます。
理屈じゃない部分がありました。
しかし父はそういうのを信じません。
私もうまく説明できません。
そんなすれ違いの状態で移住生活がスタートしました。
ちなみに父は三線のような芸能には興味がありません。
極端な話、遊びにしか思ってないかもしれません。
そんな余裕がなかったせいもあるでしょうが・・・
だから私が三線をやってることも正直よく思っていない節があります。
あるときこんなことがありました。
いとこが結婚し、いとこの実家での二次会の席で目出度節などを歌わせてもらいました。
歌詞の意味は分からないものの、みんな喜んでくれました。
その中で、何も三線をやらせるために苦労して学校に行かせたんじゃない、と父が隣の親戚に話しているのをはっきり聞きました。
冗談混じりとは言え、非常にショックでした。
また、私の自然療法、食事療法でガンを治すという方針にももうひとつ納得がいってないようです。
玄米菜食については、父の世代には玄米は貧しい時代の象徴のようで、実家でも一人玄米を拒否しています。
動物性タンパクの制限についても、そういうのを食べてみんな元気にしているから必要ない、とのが持論のようです。
でもそれは父のような肉体労働者で、運動+発汗でのデトックスができている人が基準ですし、それでも未病の人は多いんですが・・・
そして在宅療養中の2月頃突然父から電話があり、妻は強い口調で何で抗がん剤をやらせないんだ、とまくしたてられました。
どうも医師に直接話を聞いたようなのですが、私の状態が悪くなってるのを隠していた、と思ったようです。
これにはいくつか勘違いがあるのですが、父は瞬間湯沸し器のような性格で、カッとなると一方的にまくしたててきます。
私の状態は、呼吸不全については少なくとも良くはなってないため、そこだけ頭に残ったのだと思います。
ガンについては以前報告した通りです。
また、周囲からもある意味無責任に抗がん剤を勧める声が多かったようです。
そういったことがあり、父の自分への思いに僅かながら疑問を抱くようになりました。
しかし同時期いのちの田圃の会沖縄支部長のIさんからは、無条件に両親に感謝をしなさいとアドバイスを受けていました。
思えば入院して無神論者の父が仏壇に手を合わせてると聞き、帰って孝行したいと考えたはず。
それからは誤解があってもまず感謝するようにしました。
すると、それ以降抗がん剤の話は出ませんでしたし、現在の病院が私の意思を尊重してくれていることにも何も言っていないそうです。
そもそも私が生まれたときは男の子ということで、それはそれは喜んでくれたそうです。
姉はそれが不満のようですが・・・
また、私が一番好きな昔の写真には、三輪車で遊ぶ幼い私を自分も三輪車に乗って笑顔で見つめる父の姿があります。

入院中、私の回復の具合を報告する度にニコニコしていたそうですし、今も自宅では機嫌がよく、その笑顔でいることが多いそうです。
私も、帰郷した日空港の到着ロビーのガラス越しにその笑顔を確認できました。
そして張り切って新居を作ってくれている話など聞くにつれ、抱いていた疑念はスーッと消えていきました。
元々議論が嫌いな九州男児で、自分の本心を伝えるのも苦手なため誤解されやすいんですね。
私も呼吸不全を得てから、父とのわだかまりが取れてきました。
まさにわだかまりという炎症で気持ちの交換も不全だったんだと思います。
これからじっくり呼吸も気持ちも無理なく通るようにしていこうと思っています。
Posted by うふどぅ at 16:19│Comments(2)
│雑談
この記事へのコメント
うふどぅ さん
お礼が遅くなりました。
お祝いコメントありがとうございます。
5日には、まやちゃんが最高賞に挑戦しますねー
彼女なら大丈夫かなあ~と思いますが・・・・
長崎へ着かれて、少しは病院生活も落ち着いたでしょうか
お父様もやはり、うふどぅさんの事が大事なんですよっ
だから、今も快適に過ごせる家を丹念に造ってあげているのだと
思いますねー愛情深いお父さんですが、昔気質で気持ちを伝えるのが
下手なんでしょうねー
ワタシの父もそうなんですが、ワタシが舞台に立つときは
一番前まできてカメラを構えていますよっ笑
お礼が遅くなりました。
お祝いコメントありがとうございます。
5日には、まやちゃんが最高賞に挑戦しますねー
彼女なら大丈夫かなあ~と思いますが・・・・
長崎へ着かれて、少しは病院生活も落ち着いたでしょうか
お父様もやはり、うふどぅさんの事が大事なんですよっ
だから、今も快適に過ごせる家を丹念に造ってあげているのだと
思いますねー愛情深いお父さんですが、昔気質で気持ちを伝えるのが
下手なんでしょうねー
ワタシの父もそうなんですが、ワタシが舞台に立つときは
一番前まできてカメラを構えていますよっ笑
Posted by MAGI at 2009年06月24日 13:39
MAGIさん、いらっしゃいませ。
病院生活は落ち着いてますよ~
でもできるだけ自分でできることをやっていた時に比べて、ゆるんでしまってますね・・・
先日の父の日に、このブログの内容をまとめた手紙を父宛に書きました。
感想は素っ気なかったらしいですが、その後かなり上機嫌らしいです。
こっちもなんか嬉しくなりました。
MAGIさんのお父様も今回は相当嬉しかったんじゃないですか?
改めておめでとうございます。
病院生活は落ち着いてますよ~
でもできるだけ自分でできることをやっていた時に比べて、ゆるんでしまってますね・・・
先日の父の日に、このブログの内容をまとめた手紙を父宛に書きました。
感想は素っ気なかったらしいですが、その後かなり上機嫌らしいです。
こっちもなんか嬉しくなりました。
MAGIさんのお父様も今回は相当嬉しかったんじゃないですか?
改めておめでとうございます。
Posted by うふどぅ at 2009年06月24日 17:20