慌ただしい1日

うふどぅ

2009年06月13日 11:25

6月9日はとても慌ただしい1日でした…

この日は朝から調子がよくありませんでした。
そもそも入院してからというもの、脇に管がつながっているのでベッドに縛りつけられ、1日中寝ている日が続いていました。
しかもエアマットだったので沈み込みが深く、枕は高いというアンバランスで首、胸が痛い状態でした。

午後になって出発が近づき、妻と義父が荷物を持って病院に来ました。
さっそく機内に持ち込む荷物、預ける荷物と分けることに。
しかしけっこうな時間をかけて分別を考えたつもりでしたが、明らかに用意したバッグに収まりません。
私は動けないので妻と義父の作業に口を挟むだけでしたが、次第に苦しくなってきました。
そもそも口パクは皆さんが想像する以上に苦しいもので、それに焦りと道中の不安という精神面の負荷もかかってきて大変でした。
妻もパニック障害の発作が出たようで、テンパっていました。
そこで出発前に合流予定の看護師Tさんに助けを求め、早めに来てもらうことに。
それまでに荷物はまとまりましたが、助けを呼べる人がいるというだけでどれ程心強いか、すごく実感できました。

そして人工呼吸器等々を扱う業者のYさんが到着し、いざ出発。

病院から空港まではTさんのご主人の車にお世話になりました。
弟さんも駆けつけて下さり、荷物だらけの我々には願ってもない救いの手でした。
渋滞もほとんどなく、時間的には全然問題ありませんでした。
体調的には、酸素飽和度も問題なかったものの、脈が速く、首や背中の痛みで余裕はありませんでした。

空港に着くと、往診の病院の看護師長さんと担当の看護師さんが見送りに来てくれていました。
ありがとうございました。
みんなで記念撮影をして別れると、我々は今回利用したスカイネットアジア航空の応接室に通されました。
というのも、人工呼吸器のバッテリーに不安があるため、待ち時間にコンセントを使わせてほしいとお願いしていたからです。
SNAさんありがとう。

で、この応接室で見送りに来てくれた八重山うた会のHさん、Cさん、M晴さん、マヤちゃんと会いました。
なんかVIP待遇…!?
色々と話をしましたが、中でも今後の夢が広がる話があって、今からワクワクしてます。

そして時間は過ぎ、いよいよ出発時刻が近づきました。
皆さんと握手をして、保安検査場に入ります。

ここで業者のYさんともお別れです。
思えばYさんにも色々お世話になりました。
あれやこれやで自宅まで呼び出しましたし、年末年始の外泊でも、三が日が明けてないのに来てくれました。
いくら沖縄らしくご自宅がすぐ近所といってもねぇ…
そう、すぐ近くだったんですね〜これが。
ともかくホントにお世話になりました。

で、飛行機に乗り込み、離陸です。
実はチューブを差した傷口から、皮下組織に空気が入り込む皮下気腫という症状が出ていました。
これは私のケースだと命に別状はありませんが、気圧の関係で痛むかもと言われており、痛み止めが出ていました。
しかし痛むこともなく、無事でした。
体調は出発時と変わらず脈が速く、首や背中がこって痛いのと疲労はありましたが、それ以外は特に問題ありませんでした。
ちょっと上空で酸素飽和度が下がったので、酸素流量を上げたくらいです。

機内では、人工呼吸器様にも一席用意しており、その隣にTさんに座ってもらいました。
Tさんにはタンの吸引やボンベの交換などお世話になりっぱなしでした。
離着陸時は電動吸引器が使えないため、足踏み式のものを踏んでもらったりすることも。

そんなこんなしているうちに長崎空港に着陸しました。

到着ロビーには両親が待っていました。
こんな感じで待っているとイメージしていた通りです。
こっちもVサインで応えようと考えていたので、その通りVサインを。

母だけは危篤のとき以来元気な顔を見ていなかったので、ホッとしたと思います。
しかし感動の再会を楽しむ間もなく、元々用意してもらっていた救急車に運び込まれ、サイレンを響かせながら、病院に直行したのでした。
Tさんにもお礼を言う暇すらありませんでしたが、本当にありがとうございました。
Tさんなしではうまくいかなかったでしょう。
次はご自宅にも呼んでくださいね〜

その晩は一通り検査をして就寝でしたが、ゆっくり眠れず、熱も出て最後までバタバタでした。

ともかくあれだけ準備に時間と神経を使った飛行機移動が無事に完了して、ホントに良かったです。
気にかけてくださってた皆さん、ありがとうございました。

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