さんしんの日

うふどぅ

2008年03月06日 22:21

今年のさんしんの日は平日でした。



何と言っても今年の読谷村のステージには、我が大工哲弘八重山うた会から
伊藤幸太くん、竹谷麻耶ちゃんが出演するのが最大の関心事でした。

あ、もちろん師匠の歌声も大いに期待していましたよ

一部、二部の整理券が手に入ったため(出演者特典)、12時前に着くよう
我々うた会応援団は首里を出発しました。
午前中のはあまり混まないだろうと思っていましたが、
浦添の城間あたりから一向に進みません。
というのも浦添、宜野湾の境界の陸橋を降りたところで大型トラックが分離帯に乗り上げ、
交通整理がされていたせいでした。
結局2時間近くかかり、最初の時報(12時)には間に合いませんでした

入場したときには700名収容の鳳ホールは満席で、ひとまず後ろで立ち見することにしました。

で、13時の時報。
時報が13時を告げるとともに幕が開き、場内は一斉にかぎやで風を演奏し始めます。

三線を構えている人の割合はパッと見、2、3割といったところですが、各々自慢の
三線を抱え演奏する姿はここ沖縄以外ではまず見られない風景ですね。
今年も赤犬子宮や糸満を始め、各地で同時に演奏がされていました。
大阪三線クラブもさんしんの日コンサートを主催し、19時、20時の時報に合わせて
演奏をされたようです。
ちなみに大阪のCかねぇさんは麻耶ちゃんの大阪での母親ということで
前日から沖縄入りしていました。
おみやげありがとうございました

13時のステージには我らの師匠、大工先生と奥さんの苗子さんの登場です。
直前の大阪でのライブでも披露されたという小浜節と、うた会で練習中の余興ネタ
であるくいちゃ踊りを披露されました。
小浜節では2番を苗子さんが歌い上げ、夫婦揃っての歌唱力を見せつけられました。
また、くいちゃ踊りでは苗子さんが囃子とともに踊りも披露。
うた会メンバーもこれを手本に、いずれは余興で踊り付きのくいちゃ踊りを披露できる
ことでしょう

師匠の歌が終わって、遅い昼食。
外に出てジューシーおにぎり等をつまんでいましたが、気づくと三線が当たる抽選会が
終わっていました。
残念

15時前の第2部には我らが幸太くん、麻耶ちゃんが出演するとあって、うた会応援団は
実家の山口から駆けつけられた麻耶ちゃんのお父さんとともに最前列に陣取りました。

と、その前に15時のステージはBEGINが登場。
保育所の園児らとともに走えーゴンゴンを歌い、さらに三線の花、涙そうそうと素敵な
生演奏を聴かせてくれました
ちなみに偶然にも大阪のコンサートで、我がみなわGが三線の花、涙そうそうを披露した
そうです。
沖縄と大阪でそれぞれ大きな三線の花が咲いたということですね

で、16時のステージ。
まずは琉球民謡音楽協会の師範、教師による城ぬ前~繁昌節~豊年ぬあやぐ。
大工先生夫妻、妻の師匠の神谷先生も参加しての演奏でした。
ちょっと城ぬ前では合わないところがありましたが・・・

そして師匠たちの後には幸太くん、麻耶ちゃんコンビが登場。

稽古で1ヶ月以上も先生からチェックを受け続けた山原ゆんたと、安里屋節を
歌い上げました。
山原ゆんたでは、笛は大工先生、太鼓は苗子さんという光栄ながらも相当な
プレッシャーを後ろに感じながらもしっかり歌い上げました。
ちょっと麻耶ちゃんが終わりのタイミングを間違えましたが、曲の後に上原直彦さんが
フォローしてくれていました。
ちなみに直彦さんは麻耶ちゃんに「松本伊代に似てるね」と言ってました。

次は安里屋節。
先生の笛と苗子さんの箏をバックに、2人とも堂々と歌っていました。
麻耶ちゃんは山原ゆんたでのミスを取り戻さなければ、と特に気合いが入っていた
と言ってたように、彼女から歌い始めたときには会場の後ろの方でも少しざわめきが
聞こえ、交互に歌った一節ごとには2人に対して会場から大きな拍手が沸いていました。
実際、2人とも稽古以上の出来だったと思います。
お父さんも感無量だったのではないでしょうか。

16時のステージが終わって、19時からの安室流室山会の定期総会のため
会場を後にしました。
帰りはさすがにスムーズで、首里あたりはちょっと渋滞もありましたが、なんとか
総会には間に合う時間帯に帰れました。

すごくいいものが見れた一日でした。

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