今日であの阪神大震災から13年が過ぎました。
当時私は神戸市灘区に住んでいました。
同期の友人も近所の古いアパートに住んでいました。
16日の夜、彼はずっと貸していたマンガをすべて返しに来てくれました。
なんでまた急に?と思いましたが、特に気にせず受け取りました。
そして17日未明、寝入ってそう経っていなかったのに激しくベッドを
揺さぶられました。
瞬時に地震だと気付きましたが、どうすることも出来ず、ただ布団を
被り収まるのを待つだけでした。
その間、天井が落ちてきたら死ぬな、と僅かながら死を覚悟しました。
幸い天井は落ちてこず命拾いしました。
電気が止まっていたので公衆電話で実家に安否連絡をして戻る途中、
近所のおばちゃんたちが友人のアパートが潰れてる、と話をしていました。
まさかと思い駆けつけてみると、マッチ箱が潰れるようにアパートが潰れていました。
その時は友人も脱出出来ただろうと思っていましたが、姿が見えません。
まあ他の友人の安否確認に行ってると思い、いったんその場を離れました。
しかしいつまでも彼の姿はなく、彼の部屋からも返事はありません。
次第に絶望感が漂ってきました。
夢であってほしいと思い空を見上げましたが、その時の空の青さに
夢なのか現実なのか分からなくなりもしました。
結局彼は潰れたアパートから発見されました。
安置所となった高台の病院からは、神戸の海沿い一帯のあちこちから
黒い煙が立ち上っているのが見えました。
それから毎年同期たちと彼の実家にお墓参りに行っています。
先日からそのことで読売新聞から電話で取材を受けており、関西版の
今日の朝刊にその記事が載ったようです。
就職や結婚もできないまま亡くなった彼を思い出すと、生きている自分が
もっとしっかりと生きなければ!と強く感じます。
震災で犠牲になった多くの方々のご冥福を祈るとともに、生き延びた者の
責任として精一杯生き続けることを誓いたいと思います。